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すばらしい巨樹たちと「観えないものの存在」

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2012年1月6日

巨樹と巨木

私が住んでいる奈良県には、沢山の種類の巨樹、巨木があります。
全国でも有数の「巨樹」や「巨木」の集積地域といえるでしょう。

ところで、「巨樹」「巨木」という意味についてご説明します。
まず「巨木」と呼ぶには環境省の基準があって、地上から1.3mの高さの幹周りが 、3m以上の樹を「巨木」と呼ぶことにしています。
そして、「巨樹」とは、「巨木」とは呼べないが、その樹種においては太い樹を 指します。
例えば、幹周りが1.5mの「椿」は、なかなか見ることが出来ませんね、このよう な場合「椿の巨樹」と呼んだりします。
「巨樹」「巨木」の呼び方をこのように使い分けています。

私は、農業以外にも自然や植物が好きですから、数年ほど前から「グリーンなすなら」という任意のボランティア団体に所属して、奈良市の「巨樹」や「巨木」の調査と共に、「巨樹の地図」作りの手伝いをさ せていただいています。
奈良は、ことし平城遷都1300年(2011年)ということで、さまざまな催しがなされる予定で すが、数百年から奈良時代まで年輪を持つ、しかし華やかさのない巨樹・巨木に目を向 けておられる方は、ホントごく少数です。

巨樹を調査しながら思うことですが、奈良公園以外の巨樹のほとんどが、お寺や神社の境内、鎮守の森にあると言うことで す。それ以外は、売れる木、使える木、邪魔な木として切られるか、雷や災害、病気 で倒れて無くなるか・・・です。
現在残っている樹は、お寺や神社の境内にあることからも分かるように「守られ ている樹」なのです。そして、ご存じのように奈良は、日本でも古いお寺や神社がたくさんありますか ら、巨樹も沢山残っているのです。

巨樹との出会い

巨樹に出会うと、その存在感に驚かされます。
地面をつかむような根を張り、ごつごつととした木肌、仰ぎ見て雄大な枝振り、 一本の巨樹が森を包み込むような存在です。
そばに近寄り、木肌に触れて・・・その生命を感じることが出来ます。
足下に何百年と落葉が重なり、ふわふわとした土を作り、長年森を眺めてきたの でしょう。

巨樹に出会って帰り際、振り返るとそこには、神社仏閣や公園、森林があります 。その樹が現在に残るには、周りの環境があってこそなのです。
生まれ、育み、成長し、そして巨樹となるには、他の木々の犠牲、幸運とともに 、その地域の多くの人々の思いや祈り、そして心の豊かさの存在に気づきます。
それに気づいたとき、巨樹が残る地域の豊かさを感じ癒されるのです。
むかしむかしの林業や農業、祭りや文化伝統の象徴となった神社や仏閣、公園や 森。そして、その中でもっとも地域の象徴的存在なのが「巨樹」といえるのではない でしょうか。

巨樹を訪ねて観て歩く度に、巨樹のすばらしさとともに、それを現在まで残して くれた地域の伝統、人々の思いと豊かな環境こそすばらしいのだと気づきます。そして、今までに観えないものを感じること ができるでしょう。

巨樹に限らず、自然や、文化、伝統など、長く存在することは、存在させる力が 長く働いているということに気づきます。