2014年11月21日
平成26年11月中旬のある朝、秋の麦の種まきに出かける前に電話が掛かってきました。
「・・・糸川英夫博士の写真を貸して欲しい」と、突然の話。
聞くところによりますと・・・。
埼玉県所沢航空発祥記念館で今年(2014年)の11月22日から来年2月1日まで『糸川英夫とはやぶさ』展を開催予定。つきましては、貴誌「介護ジャーナル」の1993年8月号に掲載された糸川英夫博士の写真を所沢航空発祥記念館会場内の展示パネルの中に使用させていただければと思いましてご連絡させていただきました。・・・とのこと。
2003年5月に内之浦宇宙空間観測所から小惑星「イトカワ」に「はやぶさ」という小惑星探査機を飛ばし、無事到着。そして、惑星の粉塵を持って奇跡の生還を果たして、一躍有名になったことを覚えていらっしゃるでしょうか?
その後、その出来事は映画 「はやぶさ 遥かなる帰還」や「おかえり、はやぶさ」「はやぶさ/HAYABUSA」などとしても話題になりました。
小惑星探査機「はやぶさ」を飛ばした研究者のリーダー等は、糸川英夫博士の教え子です。
彼らは、小惑星に「イトカワ」と命名して、そして小惑星探査機の名を糸川英夫博士が設計に関わった一式戦闘機「隼」の名から「はやぶさ」として飛ばしたのです。
私は、「はやぶさ」「イトカワ」のニュースを聞いたときに、直ぐにその繋がりを想像することができました。
ところで、糸川 英夫(いとかわ ひでお、1912年7月20日 – 1999年2月21日)さんをご存じでしょうか?
日本の工学者で、専門は航空工学、宇宙工学者で「日本の宇宙開発・ロケット開発の父」と呼ばれる世界的に有名な「実践的科学者」です。
糸川英夫博士は、日本で最初にペンシルロケットを飛ばしたロケット博士です。
そして、物の見方や社会の予測など地球や社会の根源的な課題に対して、独自の「糸川論」の持ち主でもありました。
20才の後半に糸川英夫博士を知った私は、その考え方に共鳴したのですが、まとも過ぎて周りからは理解できないのだろうと感じました。
今思えば、多分、学会や同僚達からは距離を置かれた存在だったと想像できます。
それは、糸川英夫博士の輝かしい実績に対して、現代でも過小評価している現状をみれば私の想像が当たっていたようです。
「実践的科学者」糸川英夫博士は、つべこべ言わずに、実践で答を出しながら生きていく少ないタイプの科学者です。
日本では、いまも昔も帰属する社会に対して常に謙虚さを求めます。
創造的、実践的な人間のエネルギーは前に向かって放出されているため、後ろむいたエネルギーの使い方が苦手です。
社会は、それを嫌うのです。保守的な人は変化を嫌います。
今年、青色発光ダイオードの開発でノーベル賞を取った中村修二さんも賛否はあるにせよ、客観的に評価できないこの国の国民性の犠牲者です。
同様に、冒険登山家の植村直美さん、海洋冒険家の堀江謙一さん、そして自然農法の実践家の福岡正信さん等々、日本国と人類に残した功績を社会は未だ評価出来ていないと思います。
実践家は、既存のモノを変えることが出来ます。
しかし、古い体質の組織や社会(おおくの大学や学会、行政など)は、それには反発します。
ですから創造的な実践家は、いつも獣道を歩まざるを得ないのです。
糸川英夫博士も日本国内では、そのように見えました。
糸川英夫博士に共鳴し評価して、その考えや姿勢を引き継ぎ続くのは、弟子のような人々です。
そして「はやぶさ」を飛ばした新たな創造者も・・・獣道を歩んでいるように見えます。
私は、デザイン・マーケティングの仕事の傍らで、1991年から2007まで「月刊:介護ジャーナル」(介護・福祉・医療の業界紙:変形タブロイド版)を発行していました。
当時も誰も書かない介護や福祉に関してのオピニオン紙を目指していました。
「月刊:介護ジャーナル」の1面は、介護に勝る人の生きざまとして「人生のアルピニスト」を紹介する頁にしていました。
現在は、「月刊:介護ジャーナル」は休刊して、「介護110番」(1999〜)を運営して介護家族や従事者の皆さんを支援しています。
★探す・調べる・相談する なんでも介護相談「介護110番」
★国内最大級の「介護ことば辞典」
糸川英夫博士は、1993年8月号に掲載していました。
毎月、生きざまを感じる著名人を記者が取材するのですが・・・梅原猛さんや、清家潔さん、大前研一さんなど、介護・福祉・医療系の記者が取材が難しい人は、私がテープを持って直接取材に行きました。暑い夏のお昼過ぎに糸川英夫さんにインタビューに行ったのを覚えています。
青山一丁目から東京の六本木の交差点を左に曲がって、直ぐの所のビルの2階か3階に糸川英夫博士の事務所がありました。15坪ほどの広さだったと思います。
女性の事務と秘書のような方が3名ほどおられて、なにか指示されていました。
想像通り!気さくで率直に話をされる方です。ただ、思った以上に角が取れた感じに思いました。
糸川英夫博士の写真は、このとき撮らせていただきました。
今回の展示会で・・・晩年の糸川英夫博士の写真は私のこの写真だけだったと言うことをお聞きして、光栄に思いました。
(上記、ポスターpdf画像の最下段の協力の蘭に吉川 浩の名前を載せていただきました)
糸川英夫博士の本で印象に残っていた1965年頃「逆転の発想」という視点の変わった観方が、私を惹きつけました。モノの捉え方、考え方がユニークでした。そのことを言うと、糸川博士は、笑いながら・・・もう古いよー、と・・・。
そして、『第三の道・インドと日本とエントロピー』(CBSソニー出版 1982年)です。
私は、この本を読んで初めて海外旅行にいきました。インドのカルカッタへ向かいました。
本の中に、・・・「エントロピーの法則」が出てきます。それは、「熱力学第2法則」というものです。世の中には沢山の科学原理がありますが、そのほとんどが地球上でのみ通用するものであるのに対して、「エントロピーの法則」だけは、現在、全宇宙で唯一共通する原理と言うことらしいです。条件が変われば通用しなくなる原理ではなく普遍的な原理と言うことです。
「エントロピーの法則」についての詳細は、下記のWikiをご覧下さい エントロピーの法則
(本当は、ちょっとややこしいかも?)
簡単に言うと、「熱いモノは、冷えていきますが、その逆はありません」というものです。
類推すると、「人は年老いて、死んでいきますが、その逆はない」「石油など地球上の資源は、使えば無くなる、その逆はない」というものです。
それで、本の中に・・・
インドでは、道路工事をするときに人夫を沢山使います。日本では大型機械のユンボなどで、一日か二日で早くやってしまいます。
日本では如何に合理的に早くやるかがテーマですが、インドでは、ゆっくりでも多くの人手を掛けて道路工事をやっていきます。
インドには機械が少ないということもあるのですが、客観的に一気に機械でやると雇用が失われると言うことです。
竹カゴに土を入れて頭に乗せて運ぶ・・・工事スタイル。その方法は人口の多いインドでは雇用を生むと言うことです。
・・・そして、エントロピーの法則です。
第三の道の指摘は、人間の労働やエネルギー資源は必ず減っていきます・・・だからこそ、人類がやるべき未来社会の姿は、如何にゆっくりと消費・使う社会であることが重要だという指摘です。
そして、その事例が、インドのカルカッタの道路工事の様子でした。
私は、その本を読み、初めての海外旅行・・・早速、インドに行ってカルカッタの道路工事現場に探しに行きました。
そして、・・・それがありました。
今回の電話で、糸川英夫博士の教えと意志を継いで、『糸川英夫とはやぶさ』展を行われると聞いて、感謝の意を表したいと思います。
私もまた、糸川英夫博士に大きな影響を受けた者のひとりです。
モノの考え方も影響を受けたと思います。
そして、上述したエントロピーの法則は、福岡正信さんの「わら一本の革命」という本と結びつき、奈良に引っ越して物やエネルギー消費が少ない「自然農法」「大和ミツバチ自然養蜂」など自然に委ねて生きることの大切さと豊かさを実践させていただいています。